清張の小説を読んでいるうちに、清張の人生を知りたいと思うようになりました。
これだけ豊富な社会小説、歴史小説を書いているのだから、それ相応の「バックボーン」があるはずなのに、略歴をみると、41歳で懸賞小説に入選するまで「ガテン」系の職が多く、どこで着想をえているのかがわかりませんでした。
また、高等教育も受けていません。
「半生」となっているのは、これが書かれたのが清張50歳半ばであり、文壇に登場してから15年しかたっておらず、主として小説家として身をたてる前までの青年時代を回想しているからです。
文壇での出来事などは、なまなましくて書けないだろうし、脂ののりきった時期だったので、自分の人生をふりかえるのは早すぎるという気概もあったのでしょう。
清張の青年時代は、川の本流から取り残された魚のようです。
浅い水溜りで懸命に生きようとジタバタしているという感じです。
両親が貧しく、生活力がなかったため、一人っ子の清張は中学進学をあきらめざるをえませんでした。
丁稚奉公に出された会社が倒産すると、印刷工になりますが、印刷の世界の本流である「画工」になれず、年下の少年たちにアゴで使われます。
なんとか新聞社の正社員として勤めはじめますが、当然のことながら大卒幹部候補社員という本流にのれず、安い俸給でほうきの仲買人をしながら、両親・妻・子ども8人の生活を維持しました。学校や軍隊でも似たようなものでした。
「私に面白い青春があるわけではなかった。」と第2章にあります。
常に生活を支えることに追われ、小説家になったのも、多少の野心はあったにせよ、生活維持の延長線上にあったようです。
この本を読んでわかるのは、数々の小説を生み出してきた着想が、青年時代の中に散りばめられていることです。
「鬼畜」、「天城越え」に登場する印刷工はまさに彼の職業経験でしょうし、警察に関する知識は特高刑事に数週間拘留された経験から知識を得たのでしょう。サラリーマンの権力闘争や野心などの描写が真にせまっているのは、窓際新聞社員として、客観的に社内事情を観察できたからなのだと思います。
歴史に関しては、ほうきの仲買人を通して日本各地をまわり、そこに伝わる伝承などを調べていました。
長い旅で得た知識と膨大な読書が歴史小説のバックボーンになっているのだと思います。
一般庶民から垣間見ることのできない権力、すなわち高級官僚、GHQ、闇世界などをテーマにした作品が多くあります。
清張は小倉での新聞社員時代に大事件に遭遇します。米兵集団脱走暴動事件です。朝鮮に送られる米兵数百人が武装したまま脱走し、多くの市民に被害がでました。
大事件にもかかわらず、報道されたのは北九州のみで、他にはまったく知らされない事件でした。GHQ が報道管制がひいたからです。この事件を契機に権力の横暴を扱った「社会派」というカテゴリの作品を多く生み出したのだと思います。
結局、彼の40歳までの人生というのは小説家としての長い長い下積み時代だったということなのでしょう。
なんだか、ありきたりの感想になってしまったなぁー ^_^;