Twitterの遊郭部さんのTweetを見て、ハタと膝を打ちました。
遊郭部さんは精力的に赤線跡探索を続けておられ、結果をTwitterで共有いただいており、いつも参考にしています(多謝!)。
名古屋の歓楽街の昭和30年代の住宅地図、福島の遊郭の見取り図を地元の図書館から発掘されていました。
ボクはネットや実地で調べてはいますが、図書館にも有用な情報があるとは気づきませんでした。
そこで早速、地元の武蔵野や三鷹の市立図書館を探索。
古い住宅地図などは見つかりませんでしたが、面白い資料を見つけました。
JR三鷹駅北口にかつて八丁特飲街と呼ばれる赤線がありましたが、その資料は少なく、場所もだいたいそこらへん、まではわかるのですが、どのブロックだったのか、まではわかりませんでした。
八丁特飲街は最初、駅前の森の中に数軒ではじまった赤線でした。
ところが、地元PTAや女性団体が業者の大規模拡張計画を察知し、猛烈な反対運動を繰り広げ、業者は拡張計画を実行することもなく、売防法施行数か月前に自主廃業したのでした。
↓ 図書館で見つけたのは「むさしの女性史の会」が発行した小冊子で、反対運動の中心人物の回顧録がのっていました。
読み物として面白く、反対運動初期から国会での業者との対決などがのっています。
最初、市長、警察はまじめに市民の声をとりあげる気はなく、組合代表は「戦争未亡人を善意で喫茶店にすまわせているだけだ」と言い張ります。地道な調査の末、納税方法が通常の飲食店と異なることを発見し、業者側を次第に追い詰めていきます。このあたりは手に汗握るストーリー展開でした。
ボクのもうひとつの成果は冊子の中に特飲街の見取り図をみつけたことでした。
見取り図に記載された道路交差点の形状から、やっと場所を特定できました。
さっそく調べた場所をテクテクテク♪
当時の遺構はほぼ何も残っていませんでした。
↓ 組合事務所があったと思われるところ
↓ 顔見世のような木の柵、石の腰回りがある古めかしいアパート。当時は平屋建てだったということなので遺構ではないと思います。
↓ ブロックを横切る未舗装の道路
↓ 古めかしい理容室
↓ ブロックの近隣にある袋小路の飲み屋街
↓ 八丁稲荷