前回の続きで、今度は今年一年読んだ写真関係の本 Best 3をあげてみようと思います。
どれもとても面白いので、一度は読んでおいたほうがいいと思いますよ。
■ Best 3!「犬の記憶」 by 森山大道
新宿紀伊国屋書店で見つけた文庫本。あわせて「犬の記憶 終章」、「遠野物語」を
買いました。
「犬の記憶」は森山大道青春記と言える作品で、写真に興味のない人でも写真との邂逅や
編集者との出会い、仲間との決別などいろいろなイベントがあり、楽しめる本です。
この本を読んで思ったのは、写真家って文章のうまい人が多いなぁ、ということでした。
彼自身、大変な読書家らしく、語句や言い回しが独特で、その味わいがまたよいのでした。
■ Best 2!「たのしい写真」 by ホンマタカシ
表題通り、楽しい読み物風ですが、中身はなかなか高度。
ボクは全く写真史みたいなものを勉強したことがなかったのでとても参考になりました。
「ニューカラー」とか「ポストモダン」なんて言葉を覚えたのがこの本です。
■ Best 1!「漸進快楽写真家」 by 金村修
この本を読んで写真を見る目が大きく変わりました。
写真展に行って、「この写真は訴えるものがない」、「メッセージがわからない」なんて
偉そうなことを言ったりしましたが、今となっては恥ずかしいかぎりです。
一番大きな収穫は、写真には、”
意味”を含んだ写真と
”意味”を含まない写真の2種類
あるのに
、”意味”を含んだ写真のみが”いい写真”だと思い込んでいた自分に
気づいたことです。
写真で表現することは
① 表現 = 写真 + 意味 or メッセージ
しかないと思っていました。
こう錯覚してしまうのはあたりまえで、たとえば街を歩いて看板を見ても、
思わず買いたくなるような商品の写真、そこへ行ってみたくなるような風景写真が
載っている旅行写真のパンフ...
これらはカメラマンや作成者が写真にそういうメッセージを含ませているから、見る人は
そう思えるのです。
写真ブログの写真だって、「いい写真だね」とコメントされるのは、撮影者の意図が
反映されていて、それがダイレクトに伝わるものばかりですよね。
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ところが世の中には、見る人にメッセージを伝える気持ちなんてこれっぽちもなく、
ただ、撮りたいという欲求を満足させるために撮っている人が数多いことにも気づきました。
いわば
② 表現 = 写真
なのです。
一見①の方が上等に見えますが、本当にそうなのかな、と考えました。
ボクらは学校教育に始まり、職業生活を経て死ぬまで”意味”を追求することを
刷り込まれてきました。
「そんなの意味がない」
「この提案は筋道がたっていない」
「意味のないことをするのはバカだ」
「結局、オチはなんなの?」、
「この写真は消費者の購買意欲を喚起しない」etc...
と言われることを避けるために生きているようなもんです。
でも、”意味”ってそんなに大切なんだっけ?とゆーのがボクがこの本を読んでいて
生じた疑問です。
金村氏は「写真は言葉を説明するためのイラストなんかじゃない」と言いきっています。
写真ブログやFlickrをのぞくと、多くの人が自分の写真に”意味”をもたせようと
構図を工夫したり、最新機材を試したりと必死の努力をしています。
写真表現がモノの売り上げや自分の報酬に直結するコマーシャルフォトグラファーなら
別ですが、すでに仕事で”意味”を求められすぎているアマチュア写真家が趣味の写真で
過度に”意味”を追求するのは、もはや息苦しいとさえ感じます。
さらに撮る人の意図があまりにミエミエに反映されていると、どんなきキレイな
写真でも見苦しく感じることがあります。
脱力写真系、女子カメラ系、トイカメラなどは流行るのはこの息苦しさ、見苦しさへの
アンチテーゼなんだと思いました。
かと言って②が写真としてベストかというと、見る立場から言えばそうじゃないんですよ。
最初は新鮮ですけど、ずっと見ていると退屈になり、飽きてしまいます。
撮る側の感性、ただ撮りたいという欲求に素直に従った写真は見る側からすると
退屈に陥るリスクがあるんです。
ニューカラーの旗手、エグルストンの三輪車とか欧州写真界のスーパースター・
ヴォルフガング・ティルマンスの写真なんか何度見てもどこがいいのかわからない...
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結局、撮る立場の自分としては、①と②どちらの立場をとるということではなく、
いったりきたりフラフラするんだろうな、という気がします。
たくさん撮って、意味を込めたい時は込めればいいし、そうでないときはそうしなければ
いいだけだし、撮った後の評価は見る人に一任するのが一番ラクかなと思っています。