山形・庄内紀行最終回です。
2日目はタクシーでホテルから湯殿山神社へ向かいました。
湯殿山は言わずと知れた出羽三山の一角です。
写真(↓)のような大鳥居まで、車で行くことができ、そこから先の湯殿山本宮までは
専用バスで山を登ります。
本宮の御神体は「言わず語らず」と言われ長い間、見たものを他に語っては
ならないとされており、今でも写真は禁止です。
御神体は一度見たら一生忘れられないでしょう。
詳しくは書きませんが、神主さんがそこで語ったように、
「我々は皆、ここから生まれてきました」
というのがまるで本当のように思えてきます。
自然の奇跡であり、古代人がこの山を神と崇めたのがよくわかります。
さて、再び、鳥居のところまで来て、なんだか違和感を覚えました。
素朴な自然の驚異である御神体と、あまりにも人工的かつ巨大な鳥居。
また、鳥居の近くでは白い制服を着た海上自衛隊の人たちが旭日旗をかかげて
慰霊祭(?)をやっていました。
普通、神社でこういうことやるかなぁ・・・?
次は即身仏で有名な湯殿山総本寺に行きました。
ここの和尚さんは話し上手&商売上手で、話に引き込まれついついお守りを
いくつか買ってしまいました(笑)
和尚の話の要点は3つでした。
1. お寺の由緒。江戸時代は将軍家とも交流のある大変格式の高いお寺だったそうです
2. 即身仏の話。生きながら仏になるためにどのような修行をしたか、という話で、ウチの子は
大変興味深げに聞いてました。
3. お寺と湯殿山神社の関係
ぼくが最も関心を引いたのが3.のことでした。それは神社で感じた違和感の解消に
つながるものでした。
このお寺は江戸時代まで広大な寺領を持っていました。
今の湯殿山神社の敷地も含まれていました。
ところが明治になり廃仏毀釈運動がおこり、お寺は神社になることを拒んだため、
大変な弾圧を受けました。湯殿山の敷地は取り上げられ、神社になりました。
つまり、神社は元はお寺だったのです。
明治政府は国家神道を精神的主柱とし、富国強兵へ邁進しました。
巨大な鳥居や、今も執り行われている慰霊祭はそのなごりなんだと思いました。
お寺や神社は、何百年も前から変わらぬ姿であるものだと思いがちですが、
その世の動きの影響を受けて変わっていくもんだと、妙に感心してしまいました。
↓ 大日坊の水子地蔵。奥さんに写真に撮るもんじゃないと怒られましたが、色が
可愛らしくて撮ってしまいました ^_^;
PS. 引っ越し、出張などでレスが少し遅れるかもしれません。