ひさびさの読書感想文です。
「バカの壁」で有名な解剖学者・養老先生のエッセイです。
今まで「死」をあまり意識してこなかったのですが、昨年、父が亡くなり、
自分自身も40代になって体力の衰えを意識しだし、
「そろそろタイムリミットが迫ってるなー」と思い始めてきたので、
タイトルに惹かれ、この本を手に取りました。
面白いなと思った論点は2つありました。
ひとつは情報と人間の違いでした。
氾濫する情報の中で生活をしていると、情報って活き活きしていて、それと比べて自分自身は変わらないと思い込みがちですが、養老先生はまったく逆で、情報は、その時々のスナップショットでしかなく、一度世に出た情報は永遠に変わらないものだと主張しています。
それにひきかえヒトは分子レベルで日々更新(皮膚、髪の毛から骨髄にいたるまで)が行われており、一年経つと、まったく別のヒトになっているということでした。
ふたつめの論点は「バカの壁」でも出てきた、都市化=脳化というコンセプトです。
養老先生によると都市というのは設計者の頭の中、つまり脳で組み立てられたイメージを現実化しているものであり、そこに起こる現象は論理的に説明しなければならない宿命があるとのことです。
山道をあるいていてコケれば、「運が悪かった」、「しかたない」と考えますが、街中でコケれば、「市当局が適切に道路の穴ぼこを埋めておかなかったために起こった」というふうに、理由を求め、誰か他の"ヒト"の責任にしがちになります。
養老先生は都市化の反対概念として、自然をあげています。
自然は時に理屈では説明できない現象をおこし、都市化・脳化は徹底的にそれを排除しようとします。先ほどの街中でコケるという現象もその一つでしょう。
人間は、誕生し大人になり、死を迎えます。それが自然です。人間生活の中で最も自然なのは誕生、子供、そして死です。都市化は子供と死を排除しようとします。
東京は1200万人の人間が暮らしているのにも関わらず、ヒトの死を目撃することは極まれだし、ほとんどのヒトは病院で死をむかえるようになりました。
ヒトの死という自然をコントールしようとしているわけですね。
子供には当然のことながら大人の理屈は通りませんし、大人のまったく理解できない行動を平気でします。
重要な会議がある日に限って熱を出したりします。
都市化は自然、特に死と子供を嫌う特性があるそうです。
少子化の根本原因もここにあるのでないかと養老先生は言っています。
なるほど面白い考えだなぁ、と思いました。
この本を読んで最も面白いなぁ、と思うのは理屈のカタマリのように思われている学者、
しかも何十年も解剖学や生物学をやってきている養老先生が
"自然 = 人間では理解できない部分をもつ広大なもの"
と考えているらしい(?)ことです。
広大な自然の中で、都市住民と化した人間の脳が構造化できるのは極一部でしかない、と考えると、勝手なことばかり言う配偶者や、いっこうに言うことを聞かない愚息に対して腹もたたなくなりますね。
コイツら"自然"なんだと(笑)。
なんともしょーもないオチでした(^_^;)。