2002年6月19日(水)読了
FIFAワールドカップ熱に浮かされている。
今までサッカーにはほとんど興味がなく、先月まで”三都主”を”みとす”だと思っていた僕が仕事をさぼってテレビにかじりついている。チュニジア戦の時は、商談中だったが、3時半と同時に話を同行した同僚にまかせ、駐車場の社用車から試合を見ていた。
惜しくも敗れたトルコ戦の時は会議中であった。液晶テレビを会議室に持ち込み、横目でテレビをにらみながらの会議であった。いいんだろうか?こんなんで。
そんなわけで、東洋の島国をたった4年でベスト16まで押し上げたトルシエは偉大である。これはトルシエの自伝であると同時に、昨年12月までの監督としての仕事を書いた本である。この本を読むまでトルシエについては、「かなり奇矯な行動をとるフランス人」ということしか知らなかったが、読んで2つの点がおもしろかった。
ひとつめはトルシエという人間の生き方だ。
フランス・プロリーグ選手時代はたいした成績を残せず、監督業に方向転換する。これが第一の挫折だ。
ところがどこへも雇ってくれず、アフリカにわたり監督として10年を過ごしている。これが第二の挫折である。
その後、来日して大成功するわけである。日本のサラリーマンでたとえるなら、子会社に出向になり、そこでも使い物にならないので、倉庫係に異動させられたようなものである。ところがトルシエは僕のような捉え方をせず、きわめてポジティブに監督業、アフリカ大陸というテーマに胸を躍らせて立ち向かっている。こういう人生のイベントを挫折と捉えるのは僕だけではないだろう。日経の書評も「挫折」という言葉を使っていた。日本人から見て「挫折」を「挫折」と捉えないのは、トルシエの特性ではなく、ヨーロッパ人の特性かもしれない。日本人の人生観は単線主義だ。一流校から始まって、一流の会社に入り、出世する。この単線からはずれればもうおしまい。ところがトルシエはものの見方に多様性がある。スポーツの世界であれ、ビジネスの世界であれ、勝者はほんの一握りだ。そのほかの人はどうすればいいかいうと、やってみてダメなら別の路線からそれを眺めて、一流を目指せばいい。そんな希望を与えてくれるのである。
もうひとつはトルシエの、日本代表選手を通して見た日本人観である。これは僕が考えていることと共通していて面白かった。日本人選手がサッカーで力を発揮できないのは、フィジカルで劣る面であるのではないかと考え、トルシエは就任直後に選手の運動能力を計測するのだが、そこで驚くべき事実を発見する。ほとんどの測定項目で、日本選手はヨーロッパ選手を上回る値をたたき出すのである。体力で互角以上なのに、なぜ勝てないのだろう。トルシエは日本選手のメンタル面に注目する。日本選手はよく言えば、ジェントルで礼儀正しい。しかし、競技場という戦場ではそういう美点はまったく評価されない。”力”がすべての世界なのだ。日本では親や教師、監督の言われるままに、ただ従順であることが美点でもあるし、評価されるためには必要だった。そうした内輪の論理が世界という舞台では通じず、相手国から威圧されて精神的に参ってしまうのだ。また、トルシエの言う「相手に対する過剰な敬意」がコンプレックスとなり、特に実績のあるチームとの対戦で落としてしまう傾向が強い。昨年のフランスとの対戦ではほとんどのメンバーがガチガチになってしまい、本来の力を発揮できず0-5 という屈辱的な敗戦を強いられた。トルシエはこの現象を「子どもがえり」と呼んでいる。
トルシエはメンタル強化をおこなうために、2つの方策をとる。ひとつはヨーロッパ、アフリカをまわり、一流チームとの練習試合を繰り返し、自信をつけさせる。もうひとつは競技場で生き残るための戦術を授ける。その戦術とは審判に見られないように、相手のシャツを引っ張る方法であったり、ひじや肩のコンタクトやタックルの方法であったりと、要するにタフに相手とやりあうことを徹底的に叩き込む。勝つためには内輪の論理を主張していてもはじまらない。競技場では競技場のルールで戦うしかないのである。W杯の中継でどこかの国の選手がさかんに相手国選手のシャツを引っ張るところを、ある解説者が「こういうところを若い人にあまり見せたくない」と語っていた。
ぼくはそういう問題ではなく、ワールドカップとは審判に見られなければ、なんでもアリアリの世界なのだ、ということを認識し、若い競技者に伝えるのが先達の義務ではないかと思う。スポーツマンシップを隠れ蓑として「現実」を直視せず、世界に対応しようとしないのは日本サッカー首脳陣の怠慢にすぎない。
こういう傾向は今の日本の50代から上の指導者層に特に多い。スポーツ界のみならず産業界や教育界、政治の世界でもだ。
全編、トルシエの「日本という原石を発見した喜び」、そして「息子たち」(トルシエは選手たちをそう呼んだ)を磨く教育者としての喜びが満ち溢れている。
この本は昨年、秋に書かれているのにW杯の日本選手の大活躍を当然のことのように予知している。トルシエは原石を磨くのを心から楽しみ、原石を愛し、自分のスキルのすべてを息子たちに注ぎ込んだのだと思う。だから、マスコミやサッカー協会から叩かれながらも、選手たちは彼について行き、好成績をおさめたのだと思う。
サッカーファンにはお勧めの一冊である。