先日の写真展の宴会で、
「この2,3ヶ月遊郭や赤線跡巡りにはまってます」
と言ったら、
「そうそう、実はボクの家の近くなんだけどね」
とか、
「学生時代の下宿近くの横丁でさ」
みたいな話で盛り上がり、結構関心をもっている
人が多いのだなと思いました。
そこで、この2,3ヶ月間の経験をもとに、そういった場所を探すための
ノウハウ、歩き方のマナーなどをメモしておこうと思います。
■ きっかけ
きっかけはフォト・ギャラリーでやっている「東京 街歩き・街撮り」
ワークショップに参加したことです。
東京のいろんな場所を撮り歩くのですが、時々、妙な雰囲気を感じる場所を
通ることがありました。
具体的に言うと
- ふつうの住宅街の中の空き地なのに妙にねっとりした雰囲気、
- 誰かに見られている雰囲気
- 住宅街の中や裏通りに忽然とあらわれる古い飲み屋街
- 色や造形、装飾が店舗でも民家でもありえない古い建物
- 民家には広すぎアパートには狭すぎる古い建物
- 住宅街の中の一部区間だけ無駄に広い通り
です。
あまりにも気になるので、ネット上でいろいろなキーワードでその場所を
検索してみると過去、遊郭や赤線、青線地帯であったというケースが
とても多いのです。
風俗街は東京で言えば吉原とか歌舞伎町とか特定のエリアに集中していて
自分たちが住んでいる住宅街とは別の世界だと思っていたのですが、
いろいろと調べてみると、戦後の売防法施行までは東京のあちこちに
存在していたことがわかり、とても驚きました。
わずかに残ったそうした建物や路地は、ごくふつうの住宅街や商店街に
店舗として、民家として、あるいは廃屋としてひっそりとたたずんでいますが、
建物の意匠などから、今でも当時の妖しく美しい瘴気をわずかながら
放出していることが多いのです。
50年以上前のことであれ、人と人が濃密に接した痕跡は、そこにわずかでも
何かが残っている限り消えることはないのだろうと思っています。
■ バイブル
世の中にはたくさんの遊郭・赤線跡巡りをしている人たちがいて、その人たちの
バイブルになっているのが、
- 「赤線跡を歩く」 木村 聡 ちくま文庫
です。
200ページあまりの文庫本版写真集で関東・関西の代表的な跡が網羅されています。
ここで紹介されているカフェー建築の美しさ、妖しさにはまってしまい
街歩きをするようになりました。
多くの人たちが本書を起点にして街歩きをしているようで、「木村聡著『赤線跡
を歩く』に掲載されていた建物は...」なんて記述が本やWebサイト上
いたるところにあります。
比較的入手しやすいので入門としてまず最初にお勧めします。
90年代終わりに出版されたものなので、ぜひ実物をこの目で見てみたいと
思ってもすでに更地やマンションになっていることも多いです。
なので、バイブルで調べた後、すぐに現地に赴くのではなく、事前準備が
重要になります。
■ 事前調査:Blog
ネット上のBlogには戦前には500か所以上あったと言われる遊郭・赤線をくまなく
歩こうとしている人たちがいて、最近の写真をネットで公開してくれています。
すごいと思うのは、北海道から沖縄どころではなく、韓国とかまで行って
調べている方がいたりします。
脱帽です。
Blogで目的の地の記事を見つけたら、本文だけでなく、コメント欄を気をつけて
みるとよいです。
その記事を見て現地に行った人たちが最新状況をコメントしている場合が多いのです。
残念ながらほとんどが、「すでに更地になっていました」とか
「先月の火事で焼失したようです」といった悲しいコメントがほとんどですが...
■ 事前調査:Google Street View
そこに行くことに決めたら、GoogleのStreet Viewで街の雰囲気をつかんで
おくとよいと思います。
また、多くの跡はふつうの住宅地に埋もれていますが、現役の風俗街の中に
ある場合があります。そうした場所でカメラをぶら下げて散歩するのは
トラブルのもとになります。
そういった場所は、行く代わりにStreet Viewで観察するのも手です。
大阪のxx新地と呼ばれるところはStreet Viewでもその雰囲気は十分伝わり、
連なる江戸時代のような建物群に驚かされました。
■ 訪問
赤線跡の建物のほとんどは一般の民家として使われています。
ですので、大人数でお宅の前で騒いだり、パチパチ撮りまくるのは避けた
ほうがよいです。
ボクは、あっ、見つけた!と思っても立ち止まらずゆっくり通り過ぎる
だけにしています。
また、くどいようですが、慣れないうちは現役の風俗街での探索は避けた
ほうが無難です。撮っているうちに建物の中から怖いお兄さんが
でてきたとか、カメラの画像を消されたとか何度か聞いたことがあります。
■ 最後に
戦前の遊郭造りは、京都・島原のように日本の歴史文化の一つとして
自治体の保存の動きがあり、全く消滅することはないと思いますが、
昭和20年代のみにつくられたカフェー建築物は時代の徒花ということもあり、
消えるにまかされています。
以前、どなたかが自治体に保存をもちかけたそうなのですが、
「保存しても見学に来る小中学生に説明できない」という理由で却下された
そうです。
さもありなんですが、たとえそれが歴史の負の遺産であろうと保存・記録して
おくことはとても重要だと思っています。
カフェー建築は今後10年以内に日本中から完全消滅すると思っています。
あと10年早くその魅力に気づいていればなぁ、と思う日々です。